白河市議会 2020-09-16 09月16日-03号
純文学を志す義秀の作家生活は、妻子を亡くす中で苦闘の日々が続きましたが、昭和13年に「文學界」に発表された短編小説「厚物咲」が第7回芥川賞を受賞し、その翌年には幕末天狗党に加わった祖父をモデルにした「碑」は、文壇での評価を高め、確固たる地位を築きました。数々の文学上の功績を残し、その中でも明智光秀を描いた歴史小説「咲庵」は、野間文芸賞や日本芸術院賞を受賞されました。
純文学を志す義秀の作家生活は、妻子を亡くす中で苦闘の日々が続きましたが、昭和13年に「文學界」に発表された短編小説「厚物咲」が第7回芥川賞を受賞し、その翌年には幕末天狗党に加わった祖父をモデルにした「碑」は、文壇での評価を高め、確固たる地位を築きました。数々の文学上の功績を残し、その中でも明智光秀を描いた歴史小説「咲庵」は、野間文芸賞や日本芸術院賞を受賞されました。
純文学を志す義秀の作家生活は、妻子を失くす中で苦闘が続きましたが、小説「厚物咲」で第7回、昭和13年、芥川賞を受賞し、さらに、「碑」で文壇に確固たる地位を築きました。晩年に至り数々の文学上の功績、中でも小説「咲庵」などの功績により野間文学賞や日本芸術院賞を授与され、芸術院会員になられましたが、昭和44年、1969年、惜しまれながら69歳の生涯を閉じました。